戸田橋花火大会の魅力・歴史

「戸田橋花火大会」の特徴として、打上げ場所と観覧場所との一体感が高く、あたかも頭上で大輪の華が咲くかのような花火を鑑賞でき、花火の迫力ある音を体の芯で感じていただくことができます。これは、宅地化が進んだ埼玉県南地域においても、荒川の河川敷や戸田ボートコースといったオープンスペースに恵まれていることで、尺玉(10号玉)を安全に上げることができる環境にあることが大きな理由です。
打上げプログラムも、尺玉とスターマインを組み合わせることで、メリハリの効いた勢いのあるものにこだわり、守るべき伝統は守り、変えるべき点は時代に即する形で改良を加え、現在のスタイルに紡ぎあげてきました。特に、フィナーレを飾るウルトラスターマインは、誰もが息を呑み、自然に歓声と拍手が沸き起こる圧巻の迫力です。
また、戸田市はまち全体がコンパクトでフラットなため、まちの広範囲から花火を見ることができ、自宅周辺から花火を楽しむ方も多いなど、まち全体が花火の光と音に包まれ一体になります。こうしたことから、花火大会はまちの誇りのイベントとなっており、多くの市民や事業者から協力や協賛をいただくことにより、つくりあげられています。
そして、戸田橋花火大会最大の特徴は、荒川を挟んで対岸の「いたばし花火大会」との同時開催による相乗効果です。双方の特徴を融合し、県と都、市と区の垣根を越えて連携することで、約1時間30分の間に次々と打ちあがる両岸合計約13,000発の花火を、一度に楽しんでいただくことができます。

「戸田橋花火大会」は、昭和26年(1951年)に始まりました。この花火大会は、現在でも板橋区と同時開催している行事で、戸田では、昭和40年と43年と平成23年に実施されなかったことを除き、2019年で66回を迎えます。板橋区と合同で行うようになったきっかけは、昭和25年(1950年)の戸田町と板橋区との境界変更の成立でした。境界変更を記念して戸田町の商店会等が2年前から実施していた花火大会の後援を板橋区に依頼することで始まりました。第2回からは、板橋区との同時開催ということで、荒川を挟んで対岸同士で花火を打ち上げるようになりました。
昭和35年(1960年)の10回大会までは、板橋区も「戸田橋花火大会」という名称で開催していましたが、11回大会から「区民納涼花火大会」となりました。
世の中がオリンピックでわいた昭和39年(1964年)には、その開会式の前月祭と称して時期を9月にして開催しました。このときの花火は、仕掛け台30台、打ち上げ400発以上と謳われ、普段より相当数の花火が用意されました。
翌40年(1965年)は、板橋区から地下鉄乗り入れ工事のため、花火大会中止の申し入れがあり、これまでの同時開催の経緯から、この年には花火大会が行われませんでした。この後、昭和43年(1968年)に、戸田市(昭和41年に市制施行)でも花火大会が行われないことがありました。一方、板橋区側も昭和48年(1973年)から花火大会を再開しました。また、平成23年(2011年)は東日本大震災の影響で中止となりましたが、平成24年(2012年)から再開することとなりました。