戸田橋花火大会とは?

戸田橋花火大会の魅力

第71回大会見どころ

戸田橋と板橋。荒川を挟んだふたつの花火がシンクロする感動体験をあなたに!

第71回大会見どころ

01.大会史上初、2つの花火大会が一つの音楽花火としてシンクロする。
戸田橋花火大会といたばし花火大会、荒川の両岸で同時開催されている2つの花火大会。
これまで夏の風物詩としてともに歴史を刻んできた2大会が史上初の取り組みとして異なる大会で一つの花火ショーを作り上げます。
荒川の河川敷、向かい合う形でレイアウトされた2つの花火大会が音楽花火ショーを共創することにより、未だかつて体験したことの無い感動体験を提供します。
ここでしか見ることのできない花火エンターテイメントを是非ご堪能ください。

第71回大会見どころ

02.過去最大発数、両岸合計1万5千発の大規模花火首都圏でも有数の規模感を誇る戸田橋・いたばし花火大会。
荒川放水路通水100周年というメモリアルイヤーの今年はさらにボリュームアップした花火を皆様にお届け致します。
両大会、それぞれ7500発、合計1万5千発という大ボリュームの花火が荒川の夜空を埋め尽くします。また荒川放水路通水100周年記念の合同プログラムとして、5号玉以上の大玉100連発を予定しております。
圧倒的大迫力の音と光に包まれる体験、お楽しみください。

第71回大会見どころ

03.東西で異なる音楽と花火、東西花火ファンタジア
昨年度、第70回大会でも実施した戸田橋花火大会でしか味わえないプログラム、東西音楽花火。東側と西側の会場で全く異なる楽曲と花火で構成された音楽花火ショーが展開されます。花火会場を挟む形で観覧席を設けている戸田橋花火大会の環境、特性を利用した演目です。東西それぞれの楽曲に合わせ花火を打ち上げていき、クライマックスには大団円を迎えます。最新の音響システム、卓越した花火プログラマーと編曲家による緻密な花火演出をご覧に入れます。

戸田橋花火大会の歴史

「戸田橋花火大会」は、昭和25年(1950年)の戸田町と板橋区との境界変更を記念して昭和26年(1951年)に始まり、戸田町の商店会等が実施していた花火大会の後援を板橋区に依頼したことが合同で行うきっかけとなりました。
翌年の第2回からは、板橋区との同時開催ということで、荒川を挟んだ対岸同士で花火を打ち上げるようになり、地域の垣根を越えて実施する人気の高い花火大会となっています。

荒川放水路通水100周年記念
「百年の想い 100年の未来」

埼玉・東京を支える荒川放水路は大正13年(1924年)の通水から令和6年(2024年)に通水100周年を迎えます。

明治43年の洪水の様子(サッポロビール前の隅田川の濁流(墨田区))

明治43年の洪水の様子(サッポロビール前の隅田川の濁流(墨田区))

大洪水をきっかけに放水路の工事が開始
明治時代に荒川(現在の隅田川)周辺は帝都の一角として発展しましたが、明治40年(1907年)、明治43年(1910年)の大洪水により甚大な被害を受けました。そのため、明治政府は抜本的な治水対策として、荒川放水路の建設に乗り出しました。

人力掘削の様子(土運搬作業)

人力掘削の様子(土運搬作業)

用地買収や難工事を乗り越え通水
用地の買収のため移転を余儀なくされたのは約1,300戸、鉄道や神社も含まれました。工事の初期段階や地面が平らでない場所は人力による掘削が行われるなど困難を伴う工事でしたが大正19年(1924年)に通水しました。

現在の荒川放水路(空撮)

現在の荒川放水路(空撮)

放水路の完成により穏やかな暮らしが実現
荒川放水路は、これまで一度も決壊することなく水害から人々の命と暮らしを守り、大都市に残る貴重なオープンスペースとして、多くの人々の憩いと安らぎの場として、動植物の生息・生育・繁殖の場として、地域の発展を支え続けてきました。100周年を迎えることを機に、これまで荒川に関わってきた全ての方々への感謝の意を表すとともに、これからも安心して暮らしていける強靱で持続可能な地域としてより良い形で将来に引き継いでいくことを目指します。

第71回戸田橋花火大会では荒川放水路通水100周年記念を祝し、打上げ発数を前回から1,000発増の約7,500発を打ち上げます。また、記念プログラムの打上げも行います。